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初投稿 初ブログ 初ボエーム


  タイトルの通り初投稿、初ブログ、初ボエームです。近々公開と言いつつ一ヶ月以上経ってしまいました。申し訳ないです。月1更新を目標に頑張ります。よろしくお願いいします。初回なので真面目にいきましょー!(笑)

 4月3日に、告知をしていた《ラ・ボエーム》の本番がありました。今回の《ラ・ボエーム》は自主企画で行いました。カンパニーによる後ろ盾がない自主企画では宣伝、会計、練習日程や場所、会場のセッティングやその他事務関係のことをほぼすべて演者が負担します。そもそも自主企画でオペラ一本を上演する、と言う事自体が稀で、大体はハイライト(大幅カット)、ガラコンサート(複数の作品の切り抜き)になります。私は今回初めて、主催の新造さんに声をかけていただき、自主企画のメンバーの一人として関わりました。大学院時代にも「オペラは一人でやってるんじゃない」って言葉を痛感しましたが、こうして舞台に乗り、再び人との繋がりの大切さを感じました。いつか自分が自主企画を!ってことを急に思いついたりするかもしれません。繋がりを多く、大事に。

ボエームあれこれ

 私が今回演じた役、ショナールは音楽家と言う職業です。どんなオペラでもまず取り組むのがキャラクター、そしてドラマの研究です。《ラ・ボエーム》で彼はどんな人なのだろう。ロドルフォは詩人。マルチェッロは画家。コッリーネは哲学者。芸術者って言うのは私の偏見ですが、基本的にアクの強い人しかいないと思ってます。そんな彼らが4人で屋根裏部屋でこれでもかというくらい仲良く青春を過ごしています。そんな4人は何故仲良しになれたのか。演じたショナールに関して3つほど。

その1 お金がない!

 寒い冬のなか暖を取ることすらできない彼ら。このオペラの原作では、実はショナールが最初にアパートを追い出される所から始まります。彼はアパートの家賃を2か月間滞納しています。今日が部屋の契約最終日であと残り1時間後には部屋を引き払わなければならないのですが、いまだに家賃を払える当てもない。入口ではアパートの管理人が、家賃未払いの住居人が勝手に出ていかないよう見張をしています。ショナールは管理人をうまくだまし、家具やピアノは部屋に残したまま脱出します。入れ違いに部屋の新しい賃借人がやってきます。絵画のカンバスなどの荷物をもった男マルチェッロです。入居予定の部屋が家具付きになったと管理人から知らされ、画材セット以外持っていなかったマルチェッロは思いがけない幸運に喜んで入居するのです。

 ショナールは街をふらついた後、夕方になって入ったカフェで自称哲学者の若者と知り合い意気投合します。これが哲学者コッリーネです。夕食を共にした2人は仲良く店を出て2軒目に突入、カフェ・モミュスに入ります。そこにいたのが詩人のロドルフォでした。

 年の近い似通った3人は初対面ながら各々の芸術話に盛り上がり、飲みすぎて酔っぱらいます。酔ったショナールは、残りの2人に「うちに来て泊まれよ」と誘います。もう自分の家ではないのに。3人がアパートにたどり着くと、部屋の中からピアノの音が聞こえます。自分の部屋に勝手に上り込んでいるのは誰だ!と驚くショナール。ドアをノックすると出てきたのはマルチェッロ。初対面なのにも関わらず、さびしがり屋のマルチェッロはとりあえず3人を家に入れます。4人は芸術話に盛り上がりそのまま寝てしまいます。朝になると、酒のせいか何故こんなことになってしまったのか、各々の顔すら覚えていません。自分は既に宿無しだったことをようやく思い出し出ていこうとするショナールにマルチェッロは提案します。「僕には家があるが家具がない。君には家具があるが部屋がない。君、ここにこのまま住んだらどうだ?」

こうして、マルチェッロとショナールの共同生活、そして4人の緊密な友情関係が始まります。終え金のない学生が協同生活するのは珍しいことではないようで、作曲者のプッチーニもそういう生活を送ったことがあるようです。お金がないが故に生まれる連帯感があるのです。

その2 恋愛が下手!

 私も恋愛が上手ではないのですが・・・とりあえず自分のことは棚に上げて(笑)4人が意気投合できたのはおそらく4人とも恋愛が下手な故に。だと思います。不器用な人ほど友情に厚いのではないでしょうか。2幕でミミがはじめてロドルフォ以外の3人に会うとき、嘘のラテン語(研究不足ですがおそらく正しい文法ではない)を使い、こういいます。「必要なら、加入していい。」「加盟だけを送ろう。」

 友達の彼女が来て、特別に入ってもいいぞ。というのはおそらく4人の友情は厚いんだぞっていうアピールかと思います。男女の集団で生活をするというのは何かしらあるもので、きっと3人とも何かを感じていたのでしょう。現に4幕でのコッリーネのアリアで、彼がミミを抱いたと捉えることも出来るせりふがあります。意気投合する彼ら、酔っ払いまくるほど下手な恋愛話で盛り上がったことでしょう。友情がぶ厚くなるほど。

その3 怒らないショナール

 彼は1幕で登場すると共に自分の稼いできたお金をぶちまけます。共同生活をするに当たって財産の共有は当たり前なのかもしれません。私は最初、彼が自分の財産を使われても怒らないのは、おおらかな性格を持っているからだと思いました。友達としてすごく優しさに溢れている人なのだろうと思っていました。

 話が少し飛びますが、1幕で彼は稼いだお金の経緯を説明します。

【イギリス人の貴族っぽい人が音楽家を探してた。私はすぐにでもレッスンしますよと。そしたらすぐにでもお願いしたいって言うんだよ。そして、彼はあのオウムが死ぬまで続けてくれって言うんだ。その間に私はそこに住んでいるお手伝いさんを私の色気で誘惑して、オウムには毒をつかって殺してやったんだぜ!】

 私はこれには絶対何かそのままの意味ではない裏の意味があると思っていたのです・・が、正直さっぱり分かりませんでした。そもそも本当の話なのか?

 イギリス人の貴族のような人が言ったオウムが死ぬまでレッスンしろというのが本当だとして、何故そんなことをするのでしょう。おそらく、そのイギリス人にとってオウムの鳴き声がうるさいからピアノの音で誤魔化してくれ!ってことなのだと思います。音楽家にとってこれはプライドが許さないことじゃないでしょうか。オウムの防音のために演奏をし続けるのです。しかし彼はそれを笑いながら彼らに話をします。ショナールはおおらか、というよりプライドがない人。なのです。私は音楽家は柔軟な思考を持つことが大事だと思います。それは表現のために引き出しを作るからです。しかしながらどんな展開であったとしても、「こだわり」、「プライド」があると思います。ロドルフォはカストーロの原稿を中々書けずにいます。それは自分の芸術家の魂を燃やせるほどの物ではなかったからではないでしょうか。ショナールが引き受けた仕事もきっと同じです。しかし彼はお金を稼ぐことを優先しました。ショナールは誰よりも自分たちを客観的に見ていて、判断したのでしょう。私たちにはお金が必要だと。もしかしたらショナールはとても現実的なのかもしれません。

 このオペラはどうしても死んでしまうミミとそれを看取るロドルフォに目が行ってしまいます。問題はその経緯で、あんなに青春を謳歌していた四人も、貧乏故に愛を叫んでも助けられなかった。無力だった。というところが大事なのではないでしょうか。コッリーネはミミを助けるため自らの外套を売ることを決意します。さらばと。それは彼自身の哲学者としてのプライドを棄てることになります。今回はショナールの話なので詳しくは割愛しますが。それを見た、あるいは聞いていたショナールにコッリーネは「ショナールよ。二人だけにしようか。私はこれを・・お前はもなにか、な。」それに対してショナールは「哲学者は正しい、私も行くよ。」と。

 ショナールは確かに彼の覚悟を聞きました。哲学者を棄てる彼に、哲学者と呼びかけたのです。決して嫌味ではなく、本ばかり読み世間に文句をたれまくっていた彼が、おそらく初めて人のために、ロドルフォとミミのために動き、美しい優しさをみせたのです。そのとき、ショナールはおそらく気がついたのだと思います。〈人を思いやる心〉こそが哲学であり人生なのだと。それ故彼を「(真の)哲学者」と呼ぶのです。勉強をして、もうショナールが主人公でいいんじゃないかなって思えるほどすてきなキャラクターでした。

 最後になりますが、今回本当にこの企画に参加することが出来てよかったと思ってまります。ご来場くださいましたお客様方、関わったすべての関係所の皆様にお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。またどこかで競演できるよう精進いたします!

宮城島

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